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9070件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2021-06-15 第204回国会 参議院 本会議 第31号

森屋委員長山梨選出森屋委員長、あなたの人格識見に、私自身、特段の異議はありません。内閣委員会運営そのものを見ても、新型インフルエンザ特措法デジタル関連法を始め十数本の閣法を、与野党会派意見に耳を傾けながら審議を進めてこられたと聞いています。法案中身の是非や、審議時間、審議内容が十分であったかどうかはさておき、委員会の円滑な運営に汗をかいてこられたことは事実だと思います。  

斎藤嘉隆

2021-06-15 第204回国会 参議院 本会議 第31号

このような人格円満な委員長の采配があったからこそ多くの問題が指摘され、衆議院から荷崩れ状態で送付されてきたいわゆる土地利用規制法案についても、衆議院では受け入れられなかった連合審査参考人質疑を行い、参議院らしい質疑が重ねられてきたのです。立場の違いはありつつも、誰もが円満に運営されていくと思っていました。  しかし、昨日、状況は一変しました。

森本真治

2021-06-10 第204回国会 参議院 総務委員会 第16号

ひとつ、最終報告に向けた時期的なめどと、やはり今回の総務省、それぞれ、もちろんヒアリングを受ける総務省の職員の個々人の方々には、衆議院でも議論がありましたけれども、人格人権もありますから、それはその点も配慮をしなければならないと思いますけれども、このままの姿勢では私は検証委員会としての役割を果たすことができない、そのように率直に思いますけれども、今後、総務省として、この検証委員会にこれまでのことをやっぱり

吉田忠智

2021-06-08 第204回国会 衆議院 総務委員会 第19号

彼らにもやはり人権人格があるんです。それを尊重しながら我々は調査を進めていかなくてはならない。我々はその当時、当事者でもないし、その場にいたわけでもないんです。予断によってその人権、また人格というものを侵すことは絶対あってはならない、このように考えている。そういう中での調査なんです。御理解いただきたいと思います。

武田良太

2021-05-27 第204回国会 参議院 内閣委員会 第22号

今般の改正によりまして、障害理由とする差別解消に向けた社会全体の取組が更に前進し、議員御指摘のとおり、御子息がトレーニングジムに通われるようになったことなど、障害有無にかかわらず、相互人格個性を尊重し、支え合いながら共生する社会実現していくということを大いに期待しているところでございます。

坂本哲志

2021-05-26 第204回国会 衆議院 経済産業委員会 第15号

これに対して、原電の理由書は、これは一番最後のページにつけているんですけれども、判決では放射性物質を異常に放出する重大事故が発生するおそれは認めていないと指摘する一方で、異常放出を想定した避難計画の欠陥を理由に、放射性物質の被曝による人格権侵害具体的危険性を肯定しており、明らかな矛盾が存在するというような理由なんですが、弁護士さん等、法律的にこういうことはあり得ますけれども、住民の立場で考えてもらった

宮川伸

2021-05-25 第204回国会 参議院 文教科学委員会 第14号

あらゆる文化芸術は、その担い手、著作権者人格権、財産権が適正に守られてこそ私たちはその成果を享受でき、生活を豊かにすることができます。ネット時代の要請に応え、著作権法改正されていくことは当然のことですが、著作権法の大原則を損なうことのないよう、法改正後の運用についても注視してまいりたいと存じます。  以上で質問を終わります。ありがとうございました。

舩後靖彦

2021-05-25 第204回国会 参議院 内閣委員会 第21号

全ての国民が、障害有無によって分け隔てられることなく、相互人格個性を尊重し合いながら共生する社会実現するため、障害理由とする差別解消の一層の推進を図る観点から、事業者に対し社会的障壁の除去の実施について必要かつ合理的な配慮をすることを義務付けるとともに、行政機関相互間の連携の強化を図るほか、障害理由とする差別解消するための支援措置を強化する必要があります。

坂本哲志

2021-05-20 第204回国会 参議院 厚生労働委員会 第17号

打越さく良君 その、何という、様々な価値観があってもですね、問題になっているのは自己決定権という、人格権という問題ですので、そこは、ほかに違う考え方もあるからとかいうことではなく、こうした事件を重く受け止めていただきたいというふうに思います。  ちょっと順番を変えまして、最後質問の方に行かせていただきます。  

打越さく良

2021-05-20 第204回国会 参議院 厚生労働委員会 第17号

、いわゆるスチューデントドクターの法的位置付け、これは医道審議会医師分科会において議論されておりますけれども、審議会でいただいた御意見といたしまして、シームレス化による卒前卒後の教育内容の重複の回避には、一般的には単に侵襲的な医行為を早期に習得させることを意図していると捉えられてしまうのではないかというようなこと、それから、医学教育の前倒しが更に進んで準備教育の期間が短くなることで教養教育あるいは人格形成

迫井正深

2021-05-13 第204回国会 参議院 文教科学委員会 第12号

やはり教育というのは、私は人と人との人格による触発というものが教育ではないかなと思っております。ですので、感染対策はもちろんしっかりしていただいた上で、今後もやはり対面が重要、その上でオンライン教育の良さを生かしていくと、このバランスを取っていくことが重要ではないかなというふうに思っております。  

佐々木さやか

2021-05-13 第204回国会 衆議院 総務委員会 第16号

武田国務大臣 個別の訴訟案件についてはお答えすることは差し控えたいと存じますが、一般論として、インターネット上での差別差別を助長する内容の書き込みは、人格尊厳を傷つけるものであり、断じて許されるものではないと考えております。こうした違法・有害情報につきましては、事業者において、削除を含めた適切な対応を行うことが求められると考えております。

武田良太

2021-05-12 第204回国会 参議院 本会議 第21号

個人情報個人人格尊重の理念の下に慎重に取り扱われるべきものであり、プライバシーを守る権利憲法が保障する基本的人権です。個人情報保護法は、個人権利を明確にし、プライバシー権の拡充が必要です。どんな自己情報が集められているかを知り、不当に使われないように関与する権利自己情報コントロール権情報自己決定権を保障することが今こそ必要です。  

伊藤岳

2021-05-11 第204回国会 参議院 文教科学委員会 第11号

それにもかかわらず、学長選考会議は、人格高潔といった理由を挙げて永田氏を再任しました。これは投票ではない、一種のアンケートにすぎない、そうした見解が示されたわけです。そうした見解を示した選考会議委員学長の選んだ方々です。こうした状況の中で不信が渦巻くのは当然であるというふうに思います。  

駒込武

2021-05-11 第204回国会 参議院 文教科学委員会 第11号

この客観基準という言葉がしばしば使われるんですが、その内容は、先ほども言いましたように、人格が高潔で識見が豊かである、そうしたことです。誰が人格が高潔か、それはまさに主観的な判断にほかならないのではないか。それにもかかわらず、客観基準という言葉が独り歩きすることでそれに意味があるかのようなふうになっている、これが大きな問題です。  

駒込武

2021-05-06 第204回国会 参議院 内閣委員会 第16号

このプライバシー権は、憲法十三条の幸福追求権の一部であり、私人間では明文のない人格権として保障されますが、その内実は、私生活の平穏を出発点として、現在では個人に関する情報をみだりに開示などされない自由を含むものへと流動的に変化しております。また、その制限の可否は、公益や他人の利益との個別具体的な比較考量によって判断されます。  

宍戸常寿

2021-05-06 第204回国会 参議院 内閣委員会 第16号

最後に、私申し上げました、その上で最終的にデジタル時代人格権というものをどう考えるのかということが、その中身として、本来、実体的な権利と、それから政府による監視と批判されることもあるだろうような権限の発動と、仕組みというもののバランスの中でしっかり、それが本当に先生おっしゃるような問題のある許されない監視、監督であるのか、そうではなくて、個人人格であったりあるいは生命や財産を守るという上で必要な

宍戸常寿

2021-05-06 第204回国会 参議院 内閣委員会 第16号

今、AI利活用を含むそのデジタル時代において求められているのは、こういった中で、先ほど私、人格権というふうに申し上げましたけれども、そのデジタル社会の中でサイバー、フィジカル融合する中で、自分が人間としての人格的自律というものを維持する上でどういった権利が認められるべきか、あるいはどういった不利益から守られるべきかということを明確にすることであるというふうに考えます。  

宍戸常寿

2021-05-06 第204回国会 参議院 法務委員会 第11号

また、生育歴上過酷な生育環境にあった、虐待を受けてきたというようなことも、本人責任ではないことによって、人格が未熟であったり、また人格的な発達がちょっとゆがんでしまったりということで非行に至るということは、それは本人責任として本人責任を負わせるべきことではないというふうに私は考えております。  

川村百合